あまりにも不器用な生き方に胸が痛くなりました。

1967年。張夫婦に男の子が誕生した。
中庭に咲いていたひまわりにちなみ、向陽(シアンヤン:ひまわりの意)と名付けられる。
その後、父は文化大革命の下放により6年も家から離され
その間、家族の顔を観ることもなく強制労働を課せられていた。
向陽が9歳の時に戻ってきた父は、絵描きの命とも言える聞き手を負傷し
もう、筆の持てない状態になっていた。
向陽に絵の才能を見出した父は、絵の練習を強制するようになるが…

胡同(フートン)とは中国の言葉で大通りから横に入った小さめの通りだそうです。
中国の1967年から1999年の約30年の時代の流れを、
土壁の塀に縁取られた胡同とそこで長屋のような暮らしをしていた
父と息子の親子に焦点を当てながらじっくりと描いていました。

文化大革命という時代の流れに振り回されて人生を狂わされた父。
不器用で徹底的に頑固者の父は、その性格ゆえに家族にも大きな負担を掛けてしまいます。
特に息子の絵の才能を信じて練習させ、その妨げになるものから全てを遠ざけようとする様は
ただの暴君のようにも見えました。
途中、息子に辛く当たるシーンが多くなるにつれ
「私だったら、絶対に逃げ出す。何があっても家出する!」と
ずっと心の中で思いながら観ていました。

やがて、息子が大人になった時、自分にとって父がどんな存在だったか、
そして自分が父親という立場になる自信がないことを口にします。
父はその言葉とある出来事により、ひとつの行動を起こします。
その時になってやっと、この父の心の内が少しだけ分かった気がしました。
そして、こんなに一本気で不器用な人というだけで、
なぜ時代に踏みにじられなければならなかったのかと哀しみでいっぱいになりました。

それにしても普通の家族のことを描いていたのに
観終わった印象は“強烈だなあ”でした。
これが日本映画だと、もっとしみじみとするような作品になるのかもしれません。
この映画から感じるエネルギーは中国という国が持つパワーなのでしょうか。

また、最後の方に出てくる息子の描いた家族の絵の無言の迫力がものすごく印象的でした。
(ちょっと怖い絵だなあと思ってしまいました。)

観終わった後も、心の中に何かがずっと残っているような1本です。


(060823)