とても静かに戦争というものを考えさせてくれる作品でした。

風の冷たいある日の午後、病院の屋上で老夫婦がベンチに腰掛け
のんびりと会話を交わしていた。
遠くの風景を眺めるうちに、ふと、二人が出会った頃のことが思い出される。
庭にあった美しい桜の木。
静岡産のお茶やおはぎを頑張って用意したこと。
会話がまったく弾まずに困ったこと。
そして、二人を引き合わせてくれた明石少尉のこと。
それは、終戦末期の昭和20年春。
桜が咲き始めてから散るまでの約2週間の出来事だった…

主人公の二人が昔を思い出すのと共に
観ているものも戦争末期の昭和20年へと引き込まれていきます。
そして、物語はごく普通に暮らす一家を中心に、その日常会話の中で進んでいきます。
ただし、広島を舞台にした『父と暮らせば』とは違って
鹿児島を舞台にしているこの作品は、ユーモアもちりばめられています。
なんか妙にのんびりした雰囲気で繰り広げられる食卓での兄夫婦の会話は
戦争中の不自由さを感じさせつつも、思わず笑ってしまうところも多かったです。

でも、そんな時代の悦子の恋は切ないです。
彼女が密かに想っていた明石少尉は、ある日、親友の永与を彼女に引き合わせます。
それは航空隊パイロットの自分はもうすぐ死ぬ運命にあると知っているからです。
同じ航空隊でも整備士の永与ならば、まだ無事でいる可能性が高いし
大切な悦子を託すことができると考えたのです。

そんな明石の気持ちを知っている悦子と永与は、その気持ちを大切にしようと考えます。
二人は明石少尉の心と共に生きようとするのです。

戦争と共に生きた人から戦争の記憶を消すことは出来ません。
長い年月が過ぎてからも、永与は「どうして死にきれなかったのだろうな」とつぶやきます。
妻は「生きていて良かった。死んだら何にもならない」と励ますしかないのです。

本当にいつまでも戦争の傷跡というものは残るのだなと実感した1本です。


(061124)